ブラ○モトシ

ISO400 F8 1/125

ブラ○モトシ vol.1 田端 東覚寺

ようやくタイトル通りに始める日がやってきました(笑)
「ブラ○タモリ」を愛してやまない私が、タモさんばりに古地図片手にブラブラするブログ。のはずだったんですけどね…。


古地図は人文社さんの切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))から掲載させていただきました。
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))

悪い箇所に赤札貼ればたちまち良くなる 赤紙仁王の「東覚寺」

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地図は安政三年(1856年)に発行された根岸谷中日暮里豊島辺りの図とのこと。
ちなみに左上「下尾久」とかかれた辺りが我が家の辺り。
昔は田畑ばかりだったんですね~

さて、地図上赤いボールペンでグリグリ囲まれた場所。
ここが東覚寺です。
ちなみに古地図には「西国二十九番丹後松尾寺移 東覚寺 九品仏 仁王像 八幡宮 二番」とあります。
赤紙仁王で有名なこのお寺。

山門前のお堂に二体の仁王像があります。

が、赤い紙で埋め尽くされてその姿はなんだかわからない…。

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こんな感じで、山門や御堂はキレイに建て直されてました。
でも仏殿はなかなか趣がありましたよ。

Olympus OM-2で初めての広角~中望遠レンズ♪

こんかいはいつものOM2さんにこれまで50mm単焦点しか付けたことがなかったんですが、35mm-70mmの広角から中望遠までカバーできるズームレンズをつけていってきました!
ちなみに「OM-SYSTEM s.zuiko 35-70mm f4」というレンズです。

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白龍山寿命院「東覚寺」が正式名称。
お寺には「山号」というものがついています、これはもともと山に寺があったから、、と聞いてます。
なので入り口は「山門」ってわけですね。
すこし絞って手前の大日如来像と山号を入れてみました。しかし、金ぴか。

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山門脇の護摩堂。木目がイイ感じです、この前に二体の仁王像が並んでいます。

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で、面白かったのが阿吽像のさい銭箱のカギ。
錠前にシールで「阿」「吽」と貼ってあったんです。
しかし、この鍵。別に左右一緒ならどっちでもいいような気が・・・あ、鍵がそれぞれ違うのかな?
なんか面白いから思わず、両方パチリ。

急こう配の町 田端

JR田端駅は北側に切り立った形の台地になっていて、どちら側に歩いても坂を下るようになります。
これはちょうど台地の切れ目にあたるからなんですね。

王子駅から上中里駅、そして田端駅に至る一帯は切り立った地形になっていてここから荒川・隅田川に至る辺りまでが海抜の低い低地が広がっています。
そうして、南側、不忍通りに向かってゆるやかな下り坂が続き、その先は動坂をはじめとする急こう配のアップダウン。

地図でいうと東覚寺の下「田」の次の通りあたりに小さく「トウサカト云」と書かれているのが「動坂」。
その手前が現在の不忍通りに当たりますから、この頃は水路はあっても大通りはなかったんですね。
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それもそのはず、この通りは1922年(大正11年)の開通。
その後は都電のルートにもなっていたそうですよ。

江戸の頃は田畑が続くのどか~な風景だったんでしょうね~。
江戸時代の地図もこの辺りは申し訳程度に観光地以外はだいぶ省略されて簡素な地図になっていますが、動坂を過ぎたあたりからは寺社地が広がる「江戸のはじっこ」が始まります。

当時は田端・日暮里辺りは江戸のはじっこ。
景観豊なことから江戸っ子の観光地になっていたんですね。
飛鳥山(JR王子駅)の桜や道灌山(JR西日暮里駅)の虫鳴きなどは名所としても紹介されているんです。

寺社地の先には武家地や大名の屋敷などが続き、江戸城外堀へと向かうわけです。

では、今度は動坂を上って現在の「南北線 本駒込駅」方面まで足を延ばしてみたいと思います。

白龍山 寿命院 『東覚寺』 公式ウェブサイト


東覚寺