ブラ○モトシ vol.2 本駒込 御鷹匠屋敷 天祖神社
動坂はどうして動坂?と、ついでに御鷹匠屋敷って何?
今回はこの二つを探ってみました。
これが田端から本駒込に至る「動坂」周辺の古地図です。
現代図だとこの辺りになります。
えー古い地図は東西南北が適当なので、これを現代図に合わせますと、、、
こんな感じになります。
動坂はどうして動坂って言うのか。
青く囲ったところに「トウサカト云」と書かれているのですが、安政三年時点では「動坂」の名は使われていたわけですね。
で、どうして動坂なんだろう?という疑問が昔からあったので調べてみようと動坂に赴くと、、、
書いてありました。
結構探すと丁寧に看板なんかに書いてくれてるんですよね。
はい、そのまんまお不動さんがあるから不動坂、それが動坂となったそうです。
では、そのお不動さんとは!?
2012/08/08 追記
※動坂の由来になったお不動さんは坂上にあったそうです。
それが現在の南谷寺に移ったのだそう、はい、命令したのは家光です。
五色不動の一つ目赤不動のことだったんですね~
目赤不動のある南谷寺は動坂を登りきった先、本郷通り沿いにあります。
意外とあっさり謎が解けたのですが、それではこの動坂にある「御鷹匠屋敷」ってなんなんでしょう?
御鷹匠屋敷跡を探る
えーまず鷹匠とは、、、鷹狩で鷹を扱う人々のことです。
鷹狩 - Wikipedia
はい、ウィキにもあるとおり江戸時代の将軍は鷹狩が御好きだったようで、それ専門の人々をここに住まわせたってわけですね。
特に三代家光は鷹狩が御好きだったご様子で、江戸城にも鷹小屋を造ったみたいです。
さて、そんな鷹匠屋敷。
今はどうなってるかというと…。
ん~見事に病院で鷹匠屋敷の面影は。。ない。
一周ぐるりとしてみましたけど、、ない。
ひとまず駒込天祖神社へお参りに。
天祖神社は江戸時代には「駒込神明宮」といわれて駒込村の鎮守様だったそうじゃ。
神明と来たら天照大神。伊勢神宮が本社で、社殿は神明作り。
最近神明社はよく行くので「あ、神明社」と見た感じで見分けられるようになりました(笑)
こう、うっそうと気が茂って神様がいらっしゃる感じがあっていいですよね。
この天祖神宮。
私の中の「神社レベル」がなかなか高いです。いいです。
1189年源頼朝さんが奥州藤原氏を討伐の際に神木を祀って創建したそうですが、1700年代に枯れちゃったそうです。
その後放置されて神木と祠だけになってたところを堀丹後守利直さんという方が1650年位に再建してくれたとのこと。
丹後守さんに感謝ですね。
ただ、その後神木を枯らしちゃったのが残念。
天祖神社で鷹匠屋敷らしき痕跡発見★
で、しばし鷹匠屋敷の痕跡を探してウロチョロしてみると、、、ありました!
50センチ位の石柱に「御鷹組中」の文字!これはなんか関係ありそう!
と、喜んでたら神社入り口にバッチリ書いてありました(笑)
やっぱり鷹匠組が寄進したよーという印だったわけですね。
うん、これで「御鷹匠屋敷」がここにあったって気分になってきました。
そういう気分で駒込病院辺りをもう一度見てみると・・・・。
なんか鷹が飛んでるような気が・・・・してこなくもないかも(笑)
春の足音聞こえてきました。
天祖神社の鳥居の先。お家の軒先の梅の木に鶯が!
こういう時に望遠ズームもってないんだよな~なんて嘆きながらコンデジでがんばってシューティング。
ん、、、見ずらいけどわかりますか?
動坂を上った辺りから「田畑いっぱいの景観地」から「武士や町人が住む町屋&大名屋敷&寺社ゾーン」に入ります。
動坂が不動坂のことで、五色不動の一つがある、、、となれば行ってみるしかないですよね。。
ということで次回は本郷通り沿いの寺社仏閣ゾーンをブラブラしてみたいと思います。