ブラ○モトシ 寺社編 vol.4 目赤不動
目赤不動尊 南谷寺
例によって古地図は人文社さんの切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))から掲載させていただきました。
拡大図がこちら。
南谷寺
駒込吉祥寺から本郷通りをはさんだはす向かい。
目赤不動で有名な「南谷寺」があります。
田端駅と本駒込の間にある「動坂」はもともと「不動坂」から来ていて、そのお不動さんこそこの「赤目地蔵尊」ということなんですね。
この辺りは植木屋や土物屋(八百屋)が多く、田畑が広がる江戸のはじっこだったわけです。
「田端」の地名もやはり「田んぼの端」ということでついたのではないでしょうか。
この目赤不動。もともとは赤目不動だったところを三代将軍家光のお達しにより「目赤」と改められたんだそう。
ではどうしてわざわざ目赤となったかというと…五色不動に関係してくるんですね。
五色不動は江戸五色不動とも呼ばれており、徳川家光が天海僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来する等の伝説が存在する。史跡案内など多くの文献ではこのような説話に倣った由来が記述されているが、資料によっては伝説の内容にばらつきも見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%89%B2%E4%B8%8D%E5%8B%95
一方で五色不動を歴史的に研究したいくつかの報告によると、実際に『五色不動』という名称が登場するのは明治末または大正始めであり、江戸時代の史実とは考えにくいとしているが、伝説自体は江戸時代から伝わる噂話に原型が見られるという。
また名称を別とすれば個々の寺院や不動像自体は江戸時代(以前)からの歴史を持つとされる。特に目黒不動・目白不動・目赤不動については江戸時代の資料からもその名称が確認でき、江戸の名所として『三不動』の名で知られる[1][2]。
このうち、目黒と目白は山手線の駅名ともなり、特に目黒は区名となっているため有名である。
なお五色不動は基本的に天台宗や真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は元来密教の仏像である。
いまだ謎多い五色不動ですが、まぁなんとなく五つそろえたくなるのは日本人の性でして、戦隊モノのお決まりのカラーリングと似たようなもの(?)だったんじゃないでしょうか。
詳しい記載のあるサイトを発見したので、ちょっと読んでみようと思います。
まぼろしの五色不動 by 松永英明 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
歴史的背景も気になる所ですが、いずれにせよ不動様はここにあるわけで、
それが江戸の昔から崇拝されて信仰を集めていた、、となればそこに出向いただけでノスタルジーを感じることができるわけです。
細かいウンチクを集めるのも楽しいですし、それについて探るのもまた一興。
タダなんとなくその場の雰囲気を楽しむ。。。いずれにせよ寺社巡りは楽しいものです。