ブラ○モトシ 寺社編 vol.8 麻布山善福寺
ブラ○モトシ寺社編。今回は港区麻布の善福寺を訪れました。
善福寺、山号を「麻布山」。
江戸時代は「麻布山」と呼ばれていたそうで、「あざぶ」の名はこの寺から字を充てられました。
江戸初期の麻布は農村地帯と寺社地が広がる小高い山でした。
江戸の拡大に伴って次第に都市部が移り、武家地が広がる街へと変わってきたのです。
では早速古地図を見てみましょう。*1
小高い山の上に建てられた善福寺。周辺に坂道が多いことでも少し高い場所にあったことがわかります。
現代図と見くらべると、今では高速道路が通る下に古川が流れ、町の形は変わりないことがわかります。
古地図を現代図と同じ北を上にするとこのようになります。
都電が廃止されてからは、交通はバスに頼ることが多かった麻布界隈ですが、いまでは南北線・大江戸線両地下鉄が通る「麻布十番駅」の為にアクセスもよくなりました。
昔から閑静な大人の街として知られてきた麻布は坂の町でもあり、そこかしこに古き良き街並みを散見することができます。
麻布山善福寺
菊の紋があしらわれた立派な山門が目を引く善福寺は、824年弘法大師・空海によって開山されました。
鎌倉時代、越後に流された親鸞が京にもどる際に当寺を訪れ、聖人の高徳に傾倒し浄土真宗に改宗したとされています。
境内では巨大なイチョウの木が出迎えてくれました。
ハリスと善福寺
アメリカ初代駐日領事であるタウンゼント・ハリスは1856年、伊豆下田に上陸。1859年にアメリカ合衆国公使館が善福寺に設けられ、駐在することになりました。
1862年、体調不良を理由に辞任。滞在期間5年9カ月、ハリスの日本に対する感情は非常に好意的だったそうです。
1875年築地外国人居留地に移転するまでの12年間、善福寺には星条旗が掲げられていたことになるんですね。
そんなハリスを称える顕彰碑がこの欅の木の下にあります。
親鸞と逆さイチョウ
前述の親鸞が訪れた際に植えたとされるイチョウの木。
ことの信憑性は定かではないですが、親鸞聖人像、越路吹雪の碑と共に境内墓地に多数の枝を茂らせていました。
樹齢約750年。国の天然記念物にも指定されている巨木は福澤諭吉もおそらく目を見張ったのではないかと思います。
当時頻繁に当寺を出入りしていた福澤諭吉の墓所がここにあります。
大改修が終わった本堂。
麻布山幼稚園の園児達の声を聴きながら、境内裏にそびえたつ「フォレストタワー」を見上げ歴史ある寺を後にしました。
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↑周囲の環境が違うとこうも変わるものでしょうか、山の手の名刹。今度はまた秋にでも訪れてみたいと思いました。
*1:人文社 もち歩き江戸東京散歩より