ブラ○モトシ 寺社編 Vol.14 今戸神社・鳥越神社編
前回の続きです。
だいたい台東区の下半分をぐるっと歩いた感じですかね~
およそ9キロくらいの道のりの後半部分です。
とりあえずダイジェストムービーをどうぞ。
■ 今 戸 神 社
すっかり縁結びの神様として有名になった今戸神社。
新撰組の沖田総司終焉の地としてはあんまり有名じゃないのかしら?
これは諸説あって千駄ヶ谷の植木屋さん説と、ここ説。
ここ説は新撰組の主治医だったあー誰だったっけ?
松本良順でした。彼の仮住まいがあったからここで亡くなったという説があります。
面倒なのでウィキコピペ。
由緒[編集]
沖田総司終焉の地と今戸焼発祥の地の石碑
今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。また永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災や太平洋戦争の際、米軍の爆撃機B-29が昭和20年(1945年)3月10日に焼夷弾を投下したり(東京大空襲)など数々の戦乱や火災に見舞われたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものである。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っている。
新説・招き猫発祥の地[編集]
今戸神社は、近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげた。[1]。伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。(今戸焼丸〆猫参照)これが招き猫の発祥ともいわれているが当時の記録では具体的に招き猫と今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものは確認されていない。近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになった。本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治の今戸焼の招き猫とは形状の全く異なるものなので、考証的には伝統的なものとの関わりのない平成の創作として見る必要がある。
また、焼物として使うこの土地の粘土が良質のものだったことから、今戸焼が栄えたこともある。沖田総司の終焉の地[編集]
当神社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地ともいわれている[2]。これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。縁結びの神[編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
戦前合祀された白山神社の祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにゆかりがあるとアピールされている。また、絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザインの絵馬である。これは縁と円の語呂を掛け合わせたモダンなデザインのものとなっている。
神社ってこういう路線に走るか、それかもともとメチャクチャ由緒ただしいか。
でも実はどっちでもない神社が沢山あってそういう方が好きですね。
でもここまで観光地化してるとそれはそれで楽しいw
神社巡りはやめられませんね。
■ 鳥 越 神 社
次は鳥越神社。
浅草からは蔵前を過ぎて結構南下しますので、歩くの好きじゃなきゃオススメしませんw
蔵前駅からは徒歩でちょこっとみたいですよ。
ここはサイトがすごい!
テキストサイト。
¹z_Ð -MATURI IN TOKYO-
いいですねー。
鳥越祭りが有名ですね。
何度となく蔵前橋通りを通っては眺めてましたが、実際にお参りするのは初めて。
意外と小じんまりした境内でしたが、高い木々に囲まれてて神域と言う感じがして好きです。
鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社である。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、平成25年度(2013年)は、6月8日(土)、6月9日(日)に開催される。
これすごくなんでもないんだけど境内ね。
はい、そんな感じの初夏のブラモトシでした。
地図を見て頂くとわかるとおり、このあと僕はユニクロ浅草ROX店でサイズがなかったズボンを求めて御徒町店(デカイ)までいって、なぜかズボンを4着買いましたw
おしまい。