ブラ○モトシ 東海道編 三日目 戸塚~大磯#2 戸塚路~時宗総本山遊行寺へ
【あらすじ】
旧東海道を歩いて日本橋から京都まで行く旅(行ったり帰ったり)三日目は戸塚宿を早朝にスタート。目指すは平塚宿。
雲行きはどんよりだけど、気持ちはワクワクです。
現在地はここ!
デジカメのGPSでログをとってみました。
ロガーのスイッチをOFFにしておかないと、デジカメがOFFでもどんどん記録しちゃうんですよね。
なので帰りの電車、平塚駅まで記録されてますA^^;)
これまでのログはこちら。
【一日目】
ブラ○モトシ 東海道編 一日目 日本橋~川崎#1 日本橋到着&雨 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 一日目 日本橋~川崎#2 品川までのみどころ - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 一日目 日本橋~川崎#3 旧東海道と京急その1北品川から青物横丁 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 一日目 日本橋~川崎#4 旧東海道と京急その2鮫洲から梅屋敷 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 一日目 日本橋~川崎#5 多摩川を超えろ! - ブラ○モトシⅢf【二日目】
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#1 川崎、朝立ち - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#2 鶴見~生麦 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#3 生麦事件の碑~神奈川宿到着 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#4 神奈川宿場いろいろ - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#5 保土ヶ谷宿到着! - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 東海道編 二日目 川崎~戸塚#6 権太坂を超えて日暮れの戸塚宿へ - ブラ○モトシⅢf
ダイジェストムービー
ダイジェストムービー*1を作ってみました。作ったと言うかデジカメが勝手に記録してくれてるんですが。
大坂踏破!
さて、戸塚宿上方見附を後にしまして大坂をのぼります。
坂を上りきるとファミリーマートとその先にアジサイ公園というところがありますので、ここまで来たら登りきった証!
ファミマでC1000ビタミンレモンとミネラルウォーターを購入しました。
ビタミンレモンはクエン酸を摂取しておいた方が筋肉痛になりにくいから、疲労もたまりにくくなるしね。あとさすがに坂をズンズン上っていて、しかも雨でジトジト汗だくグッショリだったので水分補給。本当は常温がいいんだけどね~少し手に持ってぬるまってから飲みます。
もともと戸塚は宿場町じゃなかったんだけど、さすがに江戸方から歩いてきてヘトヘトになってるところにこの戸塚の坂はきついから成立も必然と実感しました。体感っていいですね。
通勤の自転車の皆さまが坂をガーと下ってくるの反対にガーっと上っていくわけですが、帰り道はあの人たちどうすんだろ?押すの?漕ぐの?
大坂辺りは社やら道祖神が点在してて見るのは楽しいんだけどなんせ朝から汗がシタタリ落ちてて不快ですね~ww
とりあえずがんばって上りきると「大坂松並木」の説明板がありました。
説明によると昭和7年ころ今のようになだらかに(!?)改修されたそうです。
権太坂といいここといい、あれでなだらかになったってんだから以前はどうだったんですか?
晴れてると富士山が良く見えて旅人にも好評で浮世絵の題材にもよくなったそうですよ。
で、ここから急に松並木が多くなります東海道。
いままであんまり見かけなかったんだけどなー。こっちが逆に残ってるのかな?
「お軽勘平戸塚山道行の場」碑
『道行旅路の花聟』(みちゆきたびじのはなむこ)という歌舞伎の演目に出てくる舞台だそうです。
今回の旅路ではこういった道々のランドマークをリストアップして1つ1つチェックしながら歩いたので、楽しいし次の小さい目標を作りやすくてよかったです。
でね、この碑からの景色がなかなかいいんですよ。
確か碑の前がバス停だったと思うんで忘れずにチェックするべしです。
原宿一里塚
日本橋から11番目の一里塚です。
44キロ弱ってところかな。
現存はしません。そう思うと品濃の一里塚の現存ぷりはすばらしいです。
で、この原宿一里塚まで来て感じたんですけど嬉しいんですよね一里塚。
節目にもなるし目標にもなるし。
こうやってちょっとでも何か残っててくれると嬉しいですね。
完全消滅型もありますからね。
ちなみに日本橋から歩くと古川の金杉橋辺りが一里塚、次が品川八ツ山一里塚なんですがどちらもありません。というか江戸時代には撤去されてたらしい。そういうのもあります。
大運寺
ココいらへんはポイントなだけで遠目でチェック。
というより大きい道沿いだとあちら側にあるだけで行きにくいんですよね~。
おお、なんだこのすごい松は~
そうそうここらを「影取町」って呼ぶんですがその昔旅人の影を取ってちゃう「影取池」ってのがあったらしいんですよ。それでこんな名前だそうです。
歩道橋で確認。
歩道橋で先の道を確認します。これ現代の特権。
この先で左の側道に少しはいります。
こんな感じ
鉄砲宿と諏訪神社
さて分岐点辺りに諏訪神社がります。説明板によれば明治40年頃移転してきたとか。
この辺りは鉄砲宿と呼ばれて狩人達が住んでいたことから武神の諏訪神社が勧請されたとあります。
神社が後なんですね。
戸塚区のサイトにこんなのがありました。
戸塚区の南端にあり、藤沢市と鎌倉市に隣接する影取町に、不思議な大蛇の伝説が残っています。
遊行寺近くの、森というお金持ちの家で、大きな蛇が飼われていました。
「おはん」と呼ばれ、かわいがられていましたが、あまりの大食いのため、たまりかねた家人が近くの池に捨ててしまいました。
お腹をすかせた蛇は、池の水に映る旅人の姿を捕らえては、その影を飲み込んで飢えをしのぐようになりました。
すると次第に、池のそばを通ると大蛇に影を飲まれ、数日もたたずに死んでしまうといううわさが広まるようになり、困りはてた村人たちは、鉄砲の名人に頼んで退治することにしました。
ところが賢い蛇は用心してなかなか姿を現しません。そこで名人は、飼われていたころの呼び名を聞き、「おはんさん」と声をかけてみました。
森家から迎えが来たと思い喜んで姿を現した大蛇は、名人に撃ち殺されてしまいました。
横浜市 戸塚区役所 第21回(平成11年7月号掲載)
それ以来、大蛇が住んでいた池を影取池、撃ち殺された辺りを鉄砲宿と呼ぶようになったということです。
うん、かわいそうだな。
さっきのざっくりとした説明よりいいですね。
撃ち殺されたから~なのか、撃ち殺した人がいたから~なのか、撃ち殺した人達を読んで住まわせたから~なのか理由は曖昧なんだけど、そんな鉄砲宿なわけです。
ということで県道30号に分岐したところに鉄砲宿という名のバス停があります。
そんなこと考えてるうちにだんだん藤沢宿が近づいてきました!
遊行寺坂を下って藤沢宿へ!
さて県道30号を入るとまたそれらしい松並木が現れました。
おお、なんか石碑まで。
この辺りは緑が丘という地名だそうですが、それは松がうっそうと茂っていた場所だったからだそうですよ。
しかし、地方の伝説とか地名の由来とか街道でも歩かない限り知る由もないことばかりです。
遊行寺坂(道場坂)にさしかかりました。結構下って来ますが、下りなんでそこそこ楽です。
しかしさすがにジトジト陽気の中歩いてきたので汗がぽたぽた髪の毛を伝って落ちます。
キャップがだいぶ汗を吸い取っているようです。
ちょっとお寺で休憩させてもらうことにしましょう。
寺入り口前に一里塚の碑がありました。遊行寺一里塚、12番目の一里塚です。戸塚から2里8キロ。んー坂が多かったせいか長く感じましたね。
時刻はちょうど午前9時ころ。出発して2時間。タイムとしてはまぁまぁかな。
涼しい陽気なら90分くらいで到着したいところですね。
遊行寺(藤沢山無量光院清浄光寺)
大いちょう
中雀門
鐘楼
一遍上人像
どれもさすがの作りで楽しませてくれます。
もっと奥にいろいろあるんですが、ここでは一息つくのとTシャツを交換して再スタートです。
入ってきた東門から再び出発です。
藤沢宿枡形と広小路
さあ、藤沢宿~の前に日本三大広小路の1つがここに!
上野、名古屋、藤沢で三大だそうです。
上野はしょっちゅう見てますけど、、、ちょっと小さい気が^^;
いやいや当時は賑わってたんでしょう。
当時の地図と今の地図を見くらべるとよくわかります。
イイジマ薬局を右折、、
いとう歯科を左折、
遊行寺橋を右折、、と旧道は続いて橋を渡ると藤沢宿です。
あ、旧江戸方見附はちょうどお寺の東口辺りのようなのでもう入宿してました^^;
先ほどのいとう歯科を右に曲がると遊行寺の惣門があります。
ああこっちからもお参りしたかったな~
京都から戻ってきたらこっちからお寺に入って東に抜けてもいいかも。。
というところで続く。。。。
*1:僕のカメラキャノンSX280HSに搭載されてるモードで撮影の約4秒前までを動画で記録していてそれを勝手につなぎ合わせておいてくれるという機能です。 オークションでかったんですけど2013年製の一年落ちで全部盛りコンデジが一万円ちょいで買えるんだから驚きです。 Canon デジタルカメラ Power Shot SX280HS 約1210万画素 光学20倍ズーム ブラック PSSX280HS