ブラ○モトシ

ISO400 F8 1/125

Print#1

20140810_FUJI-WPKM2-001

今までも少し上げてたけどプリントをそのままのサイズであげてみるコーナー。
重いですからあしからず。
とはいえプリントのスキャンなんで本物とはまた違うんですが。
その辺りは今度展示会に出展しますので見に来てね♪

プリントをすると色々なことがわかって楽しいです。
フィルムやレンズの特性、粒子の出方、フィルム現像の調整などなど。
最近は現像もプリント向けに変えているのでこうしてプリントしてみた方がしっくりときます。
スキャンだと少々眠い仕上がりになるので。

ぜんぜん関係ないんだけどここ「八丁畷駅」。
なんて名前だと思ってたんだけど八丁→八町。畷→縄手と変換すると
八町縄手
約900メートル直線道路が続きますよーという名前なのだ。本当の由来は知らないよ。

f:id:motosix:20140816230819p:plain
駅から900メートル直進するとなんと市場一里塚の跡碑が!
これはあながち間違えでもないかも。。。

では答え合わせ

大正5年12月25日、八丁畷駅として開業。その後、昭和5年3月25日には、南武鉄道(のちに国有鉄道)との共同駅となった。駅名の由来は、開業当時の地名から名付けられたもの。同駅付近は江戸時代、川崎宿(現在の小川町付近)から市場村まで、たんぼ道がまっすぐ八丁(約800m)ほど続いていたので八丁畷と呼ばれていた。昭和49年10月28日には構内通路が廃止され、上り線利用乗降旅客は、国鉄南武線のこ線橋を使用することにより、一層安全が確保された。また、昭和56年12月にホーム延伸工事が完成し、六両編成列車が停車可能になり、さらに平成元年11月26日には、駅舎の改良工事も完成し現在に至っている。

http://www.keikyu-ensen.com/stationDetail/16

だいたい合ってたけど、ちょっと場所が違った~
正確には
f:id:motosix:20140816231345p:plain
川崎宿上方見附付近から鶴見市場村の中心地までが直線道だったから。
のようです。

そんなことを考えながら僕は一人地図を見てニヤニヤするのが好きなんですが、そんな僕を見て妻は「地図の何が楽しいの?」と聞いてきます。愚問。