ブラ○モトシ 日光街道編 一日目 千住宿~粕壁宿#3 草加~越谷道中、松原から蒲生
【あらすじ】
日光道中一日目。早朝千住を出発して目指すは粕壁宿。
順調に埼玉県に入り二番目の宿場草加に到着。国の景勝地「松原」を抜けて次の宿場越谷へ。
現在地はここ!
日光街道はずっと北上なので地図も横にしときます。
これまでのログはこちら。
【東海道編】
一日目 日本橋~川崎宿 全5編
二日目 川崎宿~戸塚宿 全6編
三日目 戸塚宿~大磯宿 全5編
四日目 大磯宿~箱根湯本 全5編
五日目 箱根湯本~三島宿 全6編【日光街道編】
ブラ○モトシ 日光街道編 前夜祭 日本橋~千住宿 - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 日光街道編 一日目 千住宿~粕壁宿#1 千住宿出発! - ブラ○モトシⅢf
ブラ○モトシ 日光街道編 一日目 千住宿~粕壁宿#2 草加宿到着 - ブラ○モトシⅢf
ダイジェストムービー
ダイジェストムービーを作ってみました。
シャッターを押す直前の約4秒前までを、自動的に1280×720ピクセル(30 fps)の動画で記録してくれる「プラスムービーオート」という面白い機能を使用してます。キャノンのパワーショットSX280HSってカメラです。新品は売ってないんでヤフオクでどうぞ。
草加松原
草加宿を出まして県道に再び合流するところに河合曽良像があります。
曽良はあれですね「おくのほそ道」で芭蕉のお供を務めまして、もともとの名を「惣五郎」。
出発に際して「宗悟」と僧侶っぽく改めました。芭蕉の4つ下の弟子で確か北陸で先に亡くなった…んでしたっけ?以上ここまで僕の曽良知識でした。
正解は…
芭蕉が没して17年後に壱岐で亡くなった。でした^^;
曽良の句で印象的なのが「剃捨て黒髪山に衣更」。
日光までいったら句碑でもあるかなと思ったらないそうです、残念。
そしてコチラが芭蕉さん。
早朝、千住で見た芭蕉さんとは大違いです!かっこいい、渋い。
ちなみに芭蕉さんのこの僧侶ルックは西行さんの大ファンということらしいですね。
曽良像の反対側には「草加せんべい発祥の地碑」がありました。
残った団子を潰して乾かして焼いて食べたらアラおいしい。ということですね。
その先、橋を渡ると札場河岸公園の望楼が見えてきました。
芭蕉像はこの裏にあります。
そして句碑。とりあえずなんて書いてあるかわからないので記録。
これは
「順礼や草加あたりを帰る雁 虚子」
と書かれているそうで高浜虚子の句なんだそうです。
この先には「梅を見て野を見て行きぬ草加まで 子規」という正岡子規の句碑もあり、これらは虚子と子規が千住から草加を通って西新井まで散歩しながら発句したものなんだそうですね~
それは知らなかった。
立派な太鼓橋状に架橋された「矢立橋」を渡ります、この下は「谷古宇橋」交差点で少しややこしいです。公園内にはもう一つ「百代橋」という同じ歩道橋があります。
橋の上から。いやーいい景色ですねー。
そんな感じでテクテク歩く草加松原。
一番端まで来ましたが楽しくてアッと言う間でしたね。
だいたい1.6キロくらいなんで歩くのが苦手な人でもちょうど良い距離ではないでしょうか。
ちなみにおすすめは草加駅~新田駅コース。
こちら3.7キロのコースとなっております。はい。
夢の中の蒲生
槐戸橋(さいかちどはし)を越えて蒲生(がもう)へと入っていきます。
ところでこれ「エンジュ(槐)」と読むのに「サイカチ(皀莢)」とはいかに?
と思ったらまた草加市のサイトで発見、ナイス草加。
八幡町
http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1002/a35/a01/a08/17.html
市の北部に位置し、北は古綾瀬川を挟んで越谷市に接する。現在の町名は地区内の八幡神社に由来し、1958(昭和33)年11月1日の市制施行により、草加町大字槐戸から改めたもの。
本来なら「槐」はエンジュと読み、サイカチは「皀莢」と書く。ともにマメ科の落葉高木だが、槐戸とかいて「サイカチド」と呼ぶようになった理由は定かではない。サイカチの木が古綾瀬川の津(船着場)に多く生えていたという説と、村の入口である津から疫病神の上陸を遮るために「サイノ神」を祀ったところから名付けたという説がある。
ちょっと前後したので詳細図を。
まず、松並木が終わって少し行ったところで東京外環道のガードをくぐります。
芭蕉一行を描いた壁画と落書きが混在した感じを抜けますと、最初の槐戸橋付近へと出ます。
蒲生の一里塚
大橋を渡ってすぐの袂に「蒲生の一里塚」があります。
日光街道ではこれまで不遇の一里塚。
浅草→千住→六月→草加→と来まして5つ目にしてようやく塚っぽいものと出会えました。
(ちなみにココまでは千住に小さな標識があっただけ。)
愛宕神社付きの一里塚。だいたい20キロくらい日本橋から来たことになります。
蒲生茶屋通り
途中道票がありました。右に行くと越谷大聖寺は右に行くそうです。
今だと越谷レイクタウンもこっちですね。
そして通り出口に清蔵院です。
ここの山門の龍がですねあの左甚五郎の作とされていて、あまりの生々しさに夜な夜な抜けだして暴れるそうで、なので金網でかこっちゃいました。
はい、囲まれております。ちゃんと。
ここで既視感!デジャビューですね。
この湯房マミーという如何にもな建て物。何度も夢で見たことがあるんですよねー。
しかし街道を歩いてるとこういうことの連続。
特に蒲生はこれの連続で、というわけで夢の中の蒲生。
はい、そして県道へと合流して一路越谷を目指します。
南越谷の駅入り口付近で見つけたこれ。
これも気になったので撮っておいたんですが「十九夜講」と言うモノだそうで、安産や子育て、子供の健康を祈願する女性の集まりで、
毎月19日の夜に集まってたそうです。
これ他にも色々あって「庚申塔」の庚申講とかね。あれは庚申の夜に虫がその人の悪いことを地獄に伝えにいくのを阻止する為に夜通し起きてるとかいうやつですよね。大山講とか富士講も有名ですが、ネズミ講の「講」も同じ講ですね。
良しあしは別にして1つの信仰の元集まるという面がありますね。
まぁそういうわけでその1つの十九夜講の皆さまの記念碑ということです。
どうもこの先「小山」の方に行くと十九夜講が盛んだったようで碑もそこここで見られるようです。
ということで改めまして越谷ももう少し。
つづく。