ブラ○モトシ

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ブラ○モトシ 日光街道編 三日目 栗橋宿~小山宿#1 栗橋宿リスタート

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栗橋・房川の渡し

【あらすじ】

8月お盆にスタートした日光道中。すっかり2015年も明けまして、まだ正月気分の街道を北へ北へと急ぎます。少しのんびりしていたらまんまと始業式や仕事始めの通勤通学の波が…。
そんなこんなで朝9時、昨年末に寒風に負けてリタイアした栗橋駅に到着です。

東海道編】
一日目 日本橋~川崎宿 全5編
二日目 川崎宿~戸塚宿 全6編
三日目 戸塚宿~大磯宿 全5編
四日目 大磯宿~箱根湯本 全5編
五日目 箱根湯本~三島宿 全6編

日光街道編】
前夜祭 日本橋~千住宿
一日目 千住宿~粕壁宿 全5編
二日目 粕壁宿~栗橋宿 全2編


さて、まずは前回終了した宿並の江戸側南口まで戻ります。
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日光道中では東武線やJR線が比較的近くにある為、いつでもリタイア・リトライが可能なので便利ですね。
ちょうど栗橋は東武線・JR線の接続駅でもありますからアクセス至便です。

栗橋宿

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栗橋宿は利根川を挟んだ江戸側に位置していて、古来から要所として関所がおかれていたそうです。
もともとは河川敷に埋もれたお隣の中田宿にあった関所がこちら栗橋側に移ってきたとのこと。
関所は有名な東海道箱根や中山道碓氷峠と同じものですから関所を軸に栗橋宿は成り立っていた形です。
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さあ入口まで戻って来ました。
今でも当時の枡形遺構がそのまま残っています。
ここに「焙烙地蔵」が置かれています。

このお地蔵様は関所破りに失敗して火あぶりにされた受刑者達を弔う為に建てられたもの。
もともとは河川敷の方のお寺にあったものがこちらに移築されたとのことです。
栗橋の街はかなり利根川に接近していますのでスーパー堤防の建設などで街並が変わりつつあるようです。
でもこれ実は昔からそうで(大きい川沿いの街によくある)どうしても川の氾濫との戦いなのですよねー。

栗橋宿には昔ながらな木造の旧家も結構残っていました。

良く見ると一軒一軒手書きで説明が書いてあります。

日光街道を歩き始めた時、とにかく説明書きや設備が整ってなくて(東海道と比べると)なんだか不親切だなーと思っていたんですが、これが実は今は変わってきていて逆に自分で調べる楽しみが増えました。
その場に行って説明や復元をみてフンフンとうなずくとそれだけで終わりなんですが、色々疑問に思って帰ってから写真を見ながら調べてみると不思議に思っていたところの謎がだんだんと解けてより理解できてるんです。
そういう意味では良不親切ということでいいのではないかと^^;

栗橋宿のみどころ

宿並は利根川防波堤に向かって直線に続いています。
宿並右手にある顕正寺(けんせいじ)はすぐ後ろを国道四号が通っているんですが、高低差があるせいか外観からは大道路の側という気にはなりません。

こちらには栗橋宿開発の祖「池田鴨之介」さんのお墓があるということなので少し見学していこうと思います。

栗橋八福神の1つ毘沙門天が祀られてました。栗橋では七ではなく八福神なんだそうです。

そしてこちらが池田さんの墓。国道からの朝日がまぶしくて良く見えませんww
今日の旅の無事をなんとなく池田鴨之介さんにお願いして宿並に戻ります。

お向かいにある浄信寺では八福神「寿老人」を祀っているそうです。ちなみに8番目は「吉祥天」となるのが栗橋流。




宿場は通常中央に中心となる本陣や問屋場があるのですが、ここは関所がある関係ですべて川沿いに寄っています。
旧家が並ぶ宿並をあちこちみながら進んで行くと土手沿いに建設現場のような場所があります、ここが本陣跡です。
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今は埼玉県が発掘調査を行っているとのこと。

栗橋宿本陣跡  |  公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
この現場の裏手に栗橋関所跡の碑が残されていました。
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実際にはここから少し川上に関所があり、その先に渡し場があったそうです。
川向こうには中田宿という次の宿場がありますがほぼ栗橋と中田は合宿だったようです。
東海道でも平塚と大磯が至近距離でしたがこちらは最初から利根川を囲むような宿場だったんですね。
宿並の北外れに八坂神社があります。

こちらには大変珍しい狛犬ならぬ「狛鯉」があるらしいのですが、見事に見逃しました!
これは次回のお楽しみということで、、、

八坂神社を後にして利根川渡河の為に土手に上がっていきます。
昔はこの土手がもっと低かったわけですから当然このようなアングルで望むのも難しかったのではないかなと思いながら一枚。
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発掘調査のおかげで宿の中心がきれいに見てとれます。
この先にあったはず(おそらく土手の下)関所を抜けて「戻川の渡し(ぼうせんのわたし)」と呼ばれた渡し船に乗り向かいの中田宿へと移動するわけです。
徒歩の現代人は吹きすさぶ風の中、歩きだと結構ありますねー利根川橋を渡って対岸に向かいたいと思います。

つづく。