ブラ○モトシ

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ブラ○モトシ 日光街道編 四日目 小山宿~宇都宮宿#1 朝焼けの小山宿を発つ

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朝焼けの小山宿

【あらすじ】

2014年8月お盆にスタートした日光道中。息子の誕生などもあり休止してましたが、2015年も明けましてリスタート。1月は小山まで歩きましたので2月冷え込みの合間の暖かい日を狙っていざ宇都宮目指して出発です!

東海道編】
一日目 日本橋~川崎宿 全5編
二日目 川崎宿~戸塚宿 全6編
三日目 戸塚宿~大磯宿 全5編
四日目 大磯宿~箱根湯本 全5編
五日目 箱根湯本~三島宿 全6編

日光街道編】
前夜祭 日本橋~千住宿
一日目 千住宿~粕壁宿 全5編
二日目 粕壁宿~栗橋宿 全2編
三日目 栗橋宿~小山宿 全4編


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こうしてみると結構歩いてきましたね。目的地の日光もだいぶ近づいてきました。
ただし、その昔はこれが普通ですからね。旅行は命がけだったわけです。

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さて今回は宇都宮までの予定です、距離は約30キロ。
これまでで一番長い距離です。しかもご覧のように一直線に国道四号を突き進む感じ…。
これはもう日光まで行くには仕方がないととにかくスピード重視で駆け抜けることにしました。


まずは最寄りのJR西日暮里駅から小山駅まで移動です。
始発4:58に乗車、6:25着です。
駅前で軽装にチェンジして準備運動、トイレなど済まして前回終了しました駅前交差点に戻ります。

いざ、まだ陽の上がらない駅前を北上開始です。

日光壬生道追分


小山駅から北に2キロほどで喜沢交差点に着きます。
ここは日光壬生道との追分、左の道を進むと壬生を経由して今市で合流するまで50キロほどの街道が続いています。こちらの方が宇都宮を経由する奥州街道よりも5キロほど近く庶民は壬生道を行くこともことも多かったと言います。
松尾芭蕉が日光に社参したさいも壬生道を通っていった記録が随行者の河合曽良の日記にあります。
将軍社参の際は宇都宮城に宿泊する兼ね合いから奥州道を通ることになっていましたが、復路は壬生道ということもあったようです。

今回は一先ず宇都宮を目指して、帰りは壬生道でもいいかもしれません。
日光道中は宇都宮まで奥州道中と同じで、日光道はあくまで東照宮ができた際に設置されたにすぎません。古来より使われていたのは奥州道中です。
奥州道は宇都宮の追分で日光道と別れて白河までが幕府管理の街道として整備されていました。

喜沢の交差点先、右側に旧道が残されてますので以後こちらを進みます。

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喜沢一里塚付近 朝日と猫

喜沢一里塚


旧道を進みますと雰囲気の良い道が続きます。
ここからお隣の新田宿までは旧道歩きです。しかし少し進むと東北新幹線の橋梁下に出てしまうので雰囲気が楽しめるのはこの辺りだけでしょう。

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同じような林が続きますが、しばらく進むと左に盛り上がった塚が見えてきます。
これが喜沢一里塚痕跡です。

おそらく右側の盛り上がりも塚の跡でしょう。

場所はHOTEL夕月の目の前です。国道を離れて旧道に入ると結構な確率でこの手のホテルに出くわします。国道脇ですから立地的に良いんでしょうね。
とはいえきちんと営業している所は少なく、多くは廃墟になっています。
どうやらここは機能しているようです。
ホテルの角には杉並木を模したのでしょうか、何やらキレイに並んでいました。


振り返ってもう一枚。

旧道はその後住宅街にかわり、そのまま東北新幹線の高架下にでます。


この分岐から、、

この道を抜けますと

新田宿

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朝日を受ける元旅籠屋栃木屋

細い道を進んで行くと新田宿の南口にでます。この交差点から宿並がはじまります。

起源も詳しくわかっていなく、小山藩、宇都宮藩、古河藩、幕府と管轄もコロコロと変わっている、とても小さな宿場町です。
小山からもわずかな距離ですし、野木などと同じく国道沿いに民家があるだけ…と思ってたんですが!

こんな感じになんの変哲もないんだけど、、、

ここなんか昔旅籠だったんじゃないかなーって作りだなー。。お?

おお、やっぱり。小さな表札が、、、

ここもそんな気が、、、

おお、やっぱり。

通りの向こうもちゃんと表札がある。そう!新田宿は地味にすべての家々に当時の屋号の表札があるんです。
ということは当時の道幅もほぼこれぐらいだったのかな?とか想像が勝手にはためくわけです、ワクワク。

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ひときわ立派な門がまえのお家がありました。

新田宿唯一の本陣、青木本陣跡でした。未だに青木さんが住んでらっしゃるんですね。
その後もすべての家々に旧屋号がかかってました。俄然やる気が出てきます!
ずーっと国道歩きだと思ってたのにこんなところでサプライズがあったりで、やっぱり現地に行ってみないとだめですね。

さて、そんな新田宿も銅市金属工業の辺りで終わり、ここでまた旧道を辿って細道に入ります。
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旧道に入ると道端に道祖神庚申塔青面金剛像など当時のままに残されている石仏石塔が。
これらの石像は街道歩きでは随所にあり往時を偲ばせてくれます。
けど、たまに移動されてたり一か所に集められてたり、中には完全にゴミ扱いされてたり・・・。

しかしここの石仏群はきれいに残ってました。400年前は真四角な石塔だったのかもしれませんね。

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再び国道に戻ると小山市が終わりお隣下野市に入ります。
看板には明らかに「国分寺市」から上張りされた跡が。。。
「国府」や「国分寺」の文字を見るとかつて江戸より前、中世より前、律令の時代にトリップしてしまいます。
ここもかつては下野の中心だったのでしょうか!?

以外にたんたんとした国道歩きだけかと思った宇都宮路。
時刻は9時ちょっと前、朝日もしっかり登って来ました。
良い方に予想を裏切られて、次回は小金井宿を目指します。

つづく