ブラ○モトシ

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ブラ○モトシ 東海道編 六日目 三島~原#2 頼朝と義経の対面石、城下町で宿場町の沼津へ

右側に富士山がいつも見えるよ東海路(ちょっと雲に隠れちゃった)
右側に富士山がいつも見えるよ東海路(ちょっと雲に隠れちゃった)

【あらすじ】
東海道を歩いて京都まで行く(いつの日か)ことを目標に始めたロングぶらり。
時に2014年8月。三島大社にお参りし、安産祈願のお守りを頂いて後にして、
そして4年の歳月が経ち、息子も4歳になったのだった。
親父になった今、再び東海道を西へ向けて歩きだした!

対面石八幡神社

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さて、前回の伏見一里塚を出発、国道1号線の太い車線を横切って、長沢地区に入ります。
ここには期待の「頼朝・義経兄弟対面石」があるはず!

しばし進むとありました!「対面石」の看板。

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立派な鳥居をくぐってしばし参道をテクテク。そして本殿に続く鳥居が。
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秋枯れた境内を進み、本殿左脇に、ありました!
これが対面石だっ!

うーーーん、しぶい!
渋いです、おあつらえ向きに対面しやすい距離感に並んだ、腰かけやすそうな石が二つ!

いやーこのまゆつば感じがいいんですよねー。
これまでもよく登場してきた明治天皇休息の地とか、富士見の岩とか、もう本当かどうかたまらない。

でもね、義経が黄瀬川に陣を張ったとか、浮島ヶ原で馬揃えをしたとかは史実のようなのでね。
きっとここで対面したのでしょう。

しかし、頼朝が期待していたような兵団を連れてはせ参じてくれたのかと思ったら、義経は騎馬数騎…。
このあたり面白そうな話なので、それっぽい本とか読みたいですね。

対面石の説明板
この後お参りして、さい銭箱のところの説明文も無事いただきましたよ。

黄瀬川を越えていざ、沼津領へ


そんな八幡神社を跡にして、往時をしのばせる松並木がありました。

智方神社

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松並木先、川のたもと右側には「智方神社」がありました。
これ前回の千貫樋のあとにあった常夜燈がもとあった場所。

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ちょうど今の静岡県清水町の町枠と同じですね。
川の先は沼津市大岡、川沿いで昔から区域が分かれていたんですね。


ここを過ぎるとすぐに黄瀬川にかかる橋へ。
黄瀬川は富士山麓から流れる長~い川で、この先で狩野側に合流して駿河湾に出ます。

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富士山がきれいですねー。本当よい天気。
川面にはサギとか水鳥とかね、のどかだね。

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狩野川ってのは太平洋側には珍しく、南から北に向かって流れています。
関東人としてはこの感覚がおかしくって、変な気分です。そして北から流れる黄瀬川にぶつかるわけですね。
なのでその河口である「沼津」は沼の港で沼津、その先の原駅付近も浮島ヶ原という湿地帯なんですね、もともと。

潮音禅寺

さて、しばらくテクテクと歩くと右側に瀬音禅寺がありましたので、ちょっと見物。

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亀鶴姫という18歳になる美しい姫がいたんだけども、駿河の三美人と言われる程でした。
白拍子になった姫は工藤左衛門祐経(この人、曽我兄弟に仇討される人)と結婚、
頼朝の巻狩り開催時に仇討があって、その巻狩りの宴に呼ばれたけど、憂いて黄瀬川に身を投げたとさ。
なんかここは複雑な関係があるんでしょうかね。
でも巻狩りは裾野の方であったようだし、黄瀬川は裾野までのびてるからそっちの方で身投げしたんですかね。
これもまた後学のネタということで。

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そして、ここから沼津領ですよ、という碑がありました。
こちらはキレイに残っている方で、これの西端(ここから東が沼津領ですよの碑)は半分折れてます。
でもあります。後で出てくるのでまた後ほど。

下石田村の史跡案内板
沼津領に入ってから、すぐに県道に合流しました。急に道幅が広くなります。

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しばらく進むと「駿府まで15里」の碑がありました。1里約4キロです、60キロですか。
ここで脇道に入ります、大通り沿いから狩野川の土手沿いに歩きます。
狩野川を越える橋の下をくぐったあたりにありました、平作地蔵尊

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!を付けるほどでもないんですが、ここでまた「日本三大仇討」が出てきました。
また、というのは先ほどの潮音禅寺のくだり「曽我兄弟の仇討」が三大の1つ。
そして、あとの2つは超有名な赤穂浪士の仇討と伊賀越えの仇討です。
ええと、「娘の婿の仇討の相手の場所を聞き出す為に、20年ぶりにあった生き別れの息子に、自害までして仇の場所を聞き出す。」
で合ってますかね。なんかすごいですね、確かに浄瑠璃の場面にすると盛り上がりそうな、日本人の好きなドロドロした感じがします。
死ぬことはないでしょう、と思うけど今の情報化社会じゃ考えられないほど、情報は重要だったんですね、でも死ぬことはないでしょうに。

沼津の一里塚(江戸から30里目)

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地蔵尊から歩くことすぐ、沼津の一里塚です。
ちょうど12時半。ちょうどってのはこの前の伏見の一里塚が11時半だったので時速4キロペースですね。これ大事。
沼津の一里塚解説板
と、おもったら距離不足ですって、本来はこの先沼津宿の中だったらしい。。。
まぁいいか。
ここもこじんまり塚ですね。

三園橋歩道橋あたりが宿場入り口

沼津宿到着、まずは城跡と石垣で

広重の沼津、先に見えるのが三枚橋

さて、この三園橋歩道橋前から書かれたのが、広重の「沼津」のようですが、ん?城ないんですね。
沼津城の前身、三枚城は1600年代に廃城、そのあと1777年に沼津城の築城許可が下りていて、沼津城の二重櫓が完成したのが1832年。
広重は1832年秋に京に向けて出発した(とされる)から、、、あったかもなかったかもw
あ、でも真ん中のニョキっとしてるのがそれか!?

沼津領に入り、下石田村から沼津宿まで

ぶらフォト #106 手続き沼津編 - ブラ○モトシ
ぶらフォト #107 沼津編 - ブラ○モトシ
これまでちょいちょい来ていた沼津港や千本浜公園はもうちょい海よりの方のようでした。
のどかなところや都市部やトラディショナルなところが混在していてなかなか楽しめるぞ沼津。
また落ちついたらこよう。

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さて、歩道橋を越えまして~その先「鈴木製あん所」のところを左に入りますと川廓通りに入ります。
沼津城と狩野川に挟まれた一帯でございます。
ていうか川と城近いな。川沿いの何とも穏やかな街づくり。
いいとこだな沼津。

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少し街道をそれて、狩野川土手まで上がるとこれまた気持ち良い。少し休憩。

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そこから戻りまして、今度は川廓通りから城跡の公園へ。ここでまた小休止。
学生が下校をはじめましたね、早くないか?テスト期間?

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城跡周辺には石垣の遺構がそこかしこにありました。

沼津宿中心地へ

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これはもう宿場町あるあるですが、昔の中心が今の中心でないってヤツですね。
平塚とかそうだったよねー。街の外れの方。
まぁ駅のできた場所次第だからね、その後栄えるかどうかは。
だから、昔は宿場が栄えてたわけだ、必然とね。

しかし、公園にあった地図と重ねてみると。
現在の駅前周辺は城だったんですね。

なので、この先、城の南側に街道と宿場があった、というわけなんですね~。
通り沿いにいくつかあった石垣の遺構はもともとの場所ではなく、移されてきたってのがわかりました。

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さあ、この宿場もきれいに枡形の入り口と出口がありましたよー。
そして本陣跡に脇本陣あと、問屋場あとなどもね。しかし往時の面影は地形にのみ。
高田本陣、中村脇本陣、清水本陣と碑のみが残されています。


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この後、上方の枡形、静岡銀行を曲がったら沼津宿も終わりに近づきます。

さて、この後次の原宿までは一本道!ほとんど、とかでなく、ずーっと1本道。
白隠の里にはどんな往時の面影が待っているのか、時刻は13時過ぎ。
次回へ続く…。