ブラ○モトシ 坂道編 vol.9 台東区上野清水坂
先日上野に散歩に行った際、嫁がノラちゃんと戯れている間、僕は清水寺にいました。
ぶらフォト 上野公園編 / NEX with Fisheye for Holga - ブラ○モトシ
上野公園、西郷さんの銅像から近い場所なのでご存知の方も多いかもしれません。
「坂」といってもここはいわゆる「階段坂」です。
まずは現代図を見てみましょう。
京成上野駅方面から、公園に入るとすぐにあるのが「清水観音堂」です。
はい、ここはそのまま京都にある清水寺を模したものなんですね。
(この時代まねっこ文化は普通です。「見立て」という文化ですね。)
その証拠に観音堂には「舞台」もあります。
もちろん本家にはかなわない広さですが、どうしてここに清水寺が作られたのでしょうか。
では古地図を見てみましょう。
現在のJR上野駅から上野動物園、国立博物館に至る広範囲すべてが上野寛永寺の境内でした。
寛永寺は家康の側近「僧・天海」によって創建された天台宗の寺院。
二代将軍秀忠は天海の為に諸藩の下屋敷があったこの一帯を与えたんです。
では、京都清水寺を模した清水観音堂はどうして建てられたか?
天海はここに比叡山延暦寺をそっくり作りたかったんではないでしょうか。
上野の山を比叡山、不忍池を琵琶湖、そして清水寺。
弁天島から大仏様まで天海はいろんな施設を作っていきます。
そう!天海はテーマパークを作りたかったわけです。
(まぁすごく噛み砕いて言えばーですが。)
この辺りで幕府と天海との間に考え方のずれなどが生じて…云々あるのですが今回は割愛して、
そんな施設のうちの1つが清水堂だったわけです。
貴重な写真をご覧ください。
上野清水観音堂前の道。右手の階段が清水坂かもしれません。
この写真は清水坂を登りきった観音堂脇の写真。
そして、これが清水坂から直進した石段の先、不忍池方向を撮ったもの。
ちょうどこんな感じの構図になりますね。
上野公園を歩いていると、未だにどこがどこだかわからなくなります。
そんな迷っている中に大仏、五重塔、鳥居・・・
動物園に遊園地に、、美術館・博物館・・・
天海さんの想いはわかりませんが、人々が集まれる場所。
そんなところにしたかったんじゃあないでしょうか。
などと考えながら清水坂を上るのも中々オツなものです。
寛永8年(1631年)にたてられた観音堂は重要文化財に指定されています。
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今回のブラ○モトシ坂道編いかがでしたか?
小さい頃から通い慣れた上野公園は、それでも未だに発見がいっぱい。
何度でも訪れたくなる下町のオアシスなんです★
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