ブラ○モトシ 坂道編 vol.8 港区 我善坊谷坂
港区麻布台一丁目1番と2番境
僕の記憶に残る坂。
少なくとも過去に3回は訪れたことがある坂。それが今回の我善坊谷坂です。
まずは現代図を
明らかに僕はここに幾度か訪れている。
10代のころ20代のころ、、、どうしてここに来たのかはわからないけれど、記憶の中に確かにここを上った、下ったことがある。
坂の中腹には花屋さんがあって、古い民家がある。
そして、そこから見上げると東京タワーが見えたんだ。
夢にも何度か出たことがある。
傾斜のきつい、緩やかにカーブした坂道。
10代のころから、ただただブラブラするのが好きだったから、きっと東京タワーに来たついでに近くをブラブラした時、きっとこの坂を上ったに違いない。
と、今記憶と現実が結びついた気がした。
では古地図を見てみましょう。
そんな僕の記憶に残る坂「我善坊谷坂」は名前からしてユニークな坂道です。
古地図にあるように、幕末のころには「ガゼンボ谷」の表記があります。
この坂下一帯はもともと「我善坊谷」と呼ばれていたのです。
では、なぜ「我善坊谷」なのかというと名前の由来には諸説ありますが1626年徳川二代将軍秀忠の正室「お江」が没した際、葬儀が芝・増上寺で行われました。
葬列はこの谷間を通り、ここに仮の御堂が置かれました。
その名を「龕前堂(がんぜんどう)」と言い、これがなまって「がんぜんどう谷」→「我善坊谷」となったという説があります。
拡大してみると我善坊谷をはさんで上下二つの坂があることがわかります。
地図上、道に横縞が引いてある部分です。
この北側の坂が「我善坊谷坂」、南側を「三年坂」と呼ばれています。
「三年坂」は寺社などの裏手にあるような坂に多くつけられた名ということなので、古地図の幕末には寺社が近くにないことから、この両坂の名前は明治以降につけられたものなのではないか?というのが僕の考察です。
その辺りは明治時代の地図なども参照する必要がありそうなので、また別の話としておきます。
僕の記憶に色濃く残る坂「我善坊谷坂」は、どこか懐かしい風景を数歩の間だけ感じさせてくれる素敵な坂でした。
このままの景色がなくならないうちにまた訪れたいと思います。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
↑こんかいのブラ○モトシいかがでしたか?どこか懐かしい記憶をよみがえらせてくれるこの坂。今完全によみがえった記憶によるとおそらく16歳。高校生の時にデートの最中に上った、その記憶が一番古いようです。