ブラ○モトシ 坂道編 vol.10 文京区 七面坂
荒川区西日暮里三丁目、台東区谷中五丁目境。
ブラモトシ坂道編、記念すべき10回目は谷中に行ったら誰もが見ているけど、意外と通っていない「七面坂」です。
まずは現代図から
七面坂はJR日暮里駅を千駄木方面にしばらく歩くと見えてくる坂です。
左手には古刹天王寺が、右手にも本行寺、経王寺などの有名な寺院が建ち並ぶ昔からの寺社地です。
この道「御殿坂」を緩やかに上ると見える下りの階段坂がTVや雑誌でもお馴染みの「夕焼けだんだん」。
階段の下に続く商店街が「谷中銀座商店街」
こちらもメディアでお馴染みの観光スポットになっています。
そして今回の坂は、あまりメディアには登場しない隠れ良坂なのです!
古地図を見てみましょう。
9番の辺り。「七面延命院」と書かれた場所の下側の道が「七面坂」です。
12番の近くに「千駄木坂下町」とあります、この辺りが現在の東京メトロ千代田線千駄木駅付近。
5番の辺りがJR日暮里駅、6番の辺りがJR西日暮里駅付近となります。
団子坂に、三崎坂。地図を見てもわかるように、川が流れている辺りが低地。
七面坂辺りはかなり急こう配な丘陵地であったことがわかります。
大江戸ホストクラブ!?延命院事件
時は享和年間1803年。
延命院の僧「日道」が寺社奉行脇坂安董に摘発され処刑された!
罪状はなんと「女犯」、大奥がらみの一大スキャンダル!
その名も「延命院事件」は谷中七面延命院を舞台にしたノンフィクション。
元歌舞伎役者の僧「日潤」、そして日道は夜な夜な奥女中との密通に励んでいた…。
美男僧と奥女中、延命院はまるで江戸時代のホストクラブ状態だったとか。
「女犯」が元で僧が晒しものにされるのも珍しくはない江戸時代。
処刑となった破戒僧達は、幕府の秘密隠匿の為口封じをされたのでは!?
奥女中、色めき立って 七面坂
七面大明神を祀る延命院。その名前から「七面坂」は名付けられました。
今では夕焼け段々の脇にひっそりと佇む坂ですが、天王寺門前の三崎坂方面から堂々と通うよりは、裏道からこっそりと七面坂を上っていた、のではないでしょうか?
延命院は写真一枚目の右手前に門があり、今も現存しています。
そんな浮世話に想いを馳せて、夕焼けのぞむ七面坂。
谷中に訪れたらぜひ、段々だけでなく、こちらの坂も上り下りしてみて下さい。
ブラ○モトシで使用している古地図は人文社様の承諾を得て掲載しています。
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))