ブラ○モトシ

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ブラ○モトシ 寺社編 vol.7 白山富士と白山神社

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前回の駒込富士から、ほんの数分。
都営三田線白山駅ほど近くにあるのが白山富士です。
ブラ○モトシ 寺社編 vol.6 駒込富士 - ブラ○モトシ2

えーなんでこんなに沢山富士塚*1があるのか…。

なんかこの駅前ファミマ多くない?
似たようなスーパーばっかり作ってどうすんの?

今でもそんなこと思いますよね?
いやこれと同じような現象なんじゃないかと勝手に考えました(笑)

天暦2年(948年)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建された。元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。明治初期には准勅祭社に指定された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA)

ということで相当な老舗神社。
雰囲気的には駒込神社の方が流行ってた(江戸時代に)感じはしますね。
駒込も行ったから白山も行くかー!みたいな僕と同じく浅はかな感じだったんでしょうか。。。

それでは境内を一めぐり~

と、思ったら境内は猫のたまり場!いつしかレンズは猫にばかり向けられていくのでした~
トラと境内

みつめるニャ

ミミカケ

ドロンジョ様…に見えなくもない

はい、猫でした。
この辺り一帯では高台に位置する為、この神社は日当たりがいいんですよね。
その昔(古代)は海の突端にあったような地形を歩いてみると感じます。

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裏手には白山富士がありました。

ただこちらは通常は非公開(と言っても見ることはできます。入ることができません。)です。
入り口から鳥居とバックの梅をパチっと撮って、登った気分になることとします。

が、ここの富士は低いです。
ほんとちょっとコンモリしてるだけ。

ただ、台地の下の駒込富士よりも、もともとの位置が高いからこれで昔は十分だったのかもしれませんね。

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さて、次回はどこにブラモトシ。

*1:江戸時代に流行った富士講による富士山信仰の為のミニ富士山。東京中に色々な富士塚があります。

ブラ○モトシ 寺社編 vol.6 駒込富士

駒込富士

さて、今回のブラモトシ。
二回に渡って富士塚をご紹介したいと思います。

今回はJR駒込駅からほど近い駒込富士にブラモトシ。

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赤丸が駒込富士。青丸は今まで巡ってきたところですね。

ところで、

一、富士
二、鷹
三、なすび

この初夢にみたら良いことがある、って節。
これ駒込が発祥なんですって。

二の「鷹」はブラモトシ第二回で行った「鷹匠屋敷」
ブラ○モトシ vol.2 本駒込 御鷹匠屋敷 天祖神社 - ブラ○モトシ

そして、一の「富士」が今回いった駒込富士。
三のなすびはこの辺りで名産だった「駒込なす」のことなんです。

これまで巡ってきた中でこの辺りは「土物屋多し」と地図に書かれていることが多かったですが、土物屋とは八百屋のこと。
江戸の郊外で採れた野菜を寺社門前町であるこの辺りで販売してたんでしょうね~。

駒込富士、登ってみた。

富士塚ってのは富士山の模型みたいなもんで、
江戸時代「富士講」という富士山登ろうぜサークルが流行った折に、

「そんなちょくちょく静岡まで行ってられんよ」

そんな合理的な(?)考えの元、江戸各地に作られたミニ富士山さんです。プチ富士でもいいか。

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ここが駒込富士の入り口。
この鳥居がいつ建てられたかわからないですが、この辺りから同好会色がぷんぷんしてきます。
なんというかこの赤い縁取りとか昔の観光地ぽくないですか?
そう、江戸時代はこんなところが観光地だったんです。

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写真は適当ですが、こっちが山の前の境内。
というか広場。集合場所って感じしますよね~

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この階段を登って山頂の本殿へ向かいます。
かなり急です、どれぐらい急なのかを撮るのに少し考えましたが、これぐらい急です。

で、登りきって登頂~なわけですが、この辺りで駒込ブラブラしすぎてハァハァしてました(笑)
よって本殿は撮り忘れ。。。

その代わりに山道を撮ってきました!
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こんな感じで、山の周りをまるで富士山を登るかのごとく、道がぐるりとしています。
草木がぼうぼうと生えていて雰囲気はたっぷりなんですが、ふとみると近くの民家の洗濯物とか見えます(笑)

山道を小1分。無事下山です。
下山途中にちょっとした広場がまたあって、小塚とか小社とかあるんですよ。

江戸時代だったらもーここでワイノワイノですね。

ただ、21世紀の現代。人は僕一人でした…。

そして山道最後の階段を降り切った先には・・・・・


小学生がPSPでアドホック対戦中...orz

いやーこの雰囲気のなさがたまりませんね~

間違ってもカップルで行ってはいけないですね。
ただ誰もいないって点では高校生カップルにはオススメ★

レクリエーションとは!?

江戸の一大レクリエーション施設「富士塚」。
次回紹介予定の白山富士もあわせて、いままでいくつか登山してきましたが・・・。

楽しみに満ち溢れた現代。
いまいち楽しさはわかりませんでした(苦笑)

ただ、テレビもない時代。
あの遠くに見える日本一高いという山を登った気になれる…これほど素敵な体験はなかったはず!!

でも、待てよ。
そこはシタタカな江戸っ子。これくらいの大きさは住宅地サイズであって、
もっとスケールの大きなミニ富士を作ろうと思っても不思議ではないのでは!?

この辺りはまた一調べ必要ですね。。

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さて、次回は駒込富士から目と鼻の先。
「白山富士」をご紹介したいと思います~

ブラ○モトシ 寺社編 vol.5 駒込いろいろ寺社巡り

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今回のブラモトシ。
vol.1から田端駒込の寺社(東覚寺・駒込神明社・吉祥寺・赤目不動南谷寺)と巡ってきましたが、この辺りはとにかく寺社が多い地域。
すべて巡りきれないのが残念ですが、今回巡った中からいくつか紹介してみたいと思います。

樋口一葉の師匠が眠る「養昌寺」

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樋口一葉の師匠で、恋人関係だったんじゃないの?という噂があった半井桃水さんのお墓がある曹洞宗のお寺。

半井湛太郎・藤の4人弟妹の長男として対馬厳原藩、現在の長崎県対馬市厳原町に生まれる。父の仕事の関係で少年期は釜山で過ごす[1]。 10代の中ごろ[1]に上京して尺振八の共立学舎に学び、1888年(明治21年)に東京朝日新聞の記者となる。
翌年、同紙上に「唖聾子」を掲載、続いて「しぐれ縁」「海王丸」などで新聞小説家としての地位を確立、1891年(明治24年)から連載した長編「胡沙吹く風」が代表作。同年、樋口一葉が門下に加わる。一葉の処女作「闇桜」は桃水の校閲を経て『武蔵野』に発表された。しかし翌年、一葉は門下を離れた。一葉と恋人関係にあったという噂が当時からあった。その後死去まで三百編以上の小説を書いたが、今では読む人もいない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E4%BA%95%E6%A1%83%E6%B0%B4

死去まで三百編以上の小説を書いたが、今では読む人もいない。
…。なんか寂しいッスね。
ちなみに「半井」と書いて「なからい」と読むそうです。まぁそんな所はたいして気にしてないんですが、白と黒のモノトーンな本殿がイイ感じ。
山号も「繁栄山」とわかりやすいのがいいですね~。

②百姓弥平太が開きました「大運寺」

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駒込本村の弥平太さんが開基(お寺を開いたってこと)したお寺。
まさに地元っ子が作った寺ってことですね。
建て替えられたらしき佇まいはなかなか今時~な感じなんですが、ここは何か入り口が人の家みたいな狭さで、こう、路地みたいな?
思わずちょっと入ってみちゃった、ってお寺ですね。

この二か所は現在の本郷通りに面して立っています。赤目不動南谷寺の並びですね。

最上徳内が眠る蓮光寺

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朱塗りの門が美しい蓮光寺。「蓮光る寺」ってなんかいいですね。結構全国的にこの名前はあるようです。
丁度駒込学園のお向かいにあたります。
現駒込学園の敷地も古地図を参照すると、大保福寺という寺なんですね。
隣には高林寺、幕末の蘭学者緒方洪庵が眠る寺として有名です。
まぁしかしどっちを向いても寺、寺、寺。
江戸の一大寺社地であったことがよくわかります。

写真は門の中に作られたような挿し木が一本ありまして、光の加減とか美しいなと思って撮ったんですが、よい天気すぎたせいか輪郭が緑に反射してしまいました。
こういう時は広角レンズが欲しくなる場面なんですよね~

④駒込大観音の「光源寺」

駒込大観音と梅
さて、最後は駒込大観音が鎮座する「光源寺」。よく考えると寺社の名前ってのもどれも「イイ感じ」がしていいです(?)

光源寺の鬼瓦
16世紀中ごろまでに神田で創建。17世紀中ごろに当地に移転したそうです。
その後駒込大観音を造ったそうです、高さ8m。
きらびやかで雄大な姿に思わず手を合わせましたね、これはちょっと通りかかったらお参りしてくが吉です。

大観音の御堂は光源寺境内わきにありまして、その前は美しい梅林・ちょっとした遊具が設置されていました。
お寺と幼稚園てのは昔っからセットですから、ここにもそういった保育施設があったのかもしれません。

それから興味深いのが大観音様の御堂。
あきらかに西洋風なんですよね~。

そうしたら寺入り口でこんな看板を発見しました。
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雰囲気的にポルトガル語。かな?
「ルモのフォント寺院」てな感じに読めますね…。

はい、ちょいと調べましたらこれエスペラント語
世界共通言語を作り出そう!ということで作られた国際語ですね。


templo fonto de lumoは、エスペラント語「光源寺」
そのまんまだったってわけです(笑)

ちなみに観音様。太平洋戦争の空襲で焼失してしまったものを平成5年に再建されたとのこと。
ん~「エスペラント語」と「洋風の御堂」なにか関係はあるのでしょうか!?
ただ、良く見てみると「洋風」というとらえ方もありますが「印風」つまり「御釈迦様風」ととらえることもできるような気がするんですね。

ようするにオリジナルに近い風なのではないかと。
この観音様、奈良の長谷寺「十一面漢音」を模しているということで、長谷寺本堂を見てみると・・・別に似てない。

んん?なんか謎が深まってしまったのでこの辺で。

ま、とにかくひときわ目を引くこの御堂。
江戸名所図会にも大きく「大観音」と書かれていますから、昔から見どころだったんでしょうね。

と、ここで終わりにしようと思ったらまた興味深い話を発見しちゃいました。
文の京ウィークリーニュース2011/4/11版
光源寺の庚申塔…。これはまた訪れなければいけませんね…。

ニュースに登場していた22代目住職島田昭博氏の先代の住職の弟さんがエスペランティストであったということで、山門にエスペラント語が書かれているんだそうです。

なんだか話題に付きない光源寺。ここだけで一節設けても良い位の深いお寺でしたよ~。

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さて、今回のブラモトシ。
いかがでしたか?えー自分としてももう少しまとまった話にしたいのですが、それは今後の課題ということで。。。

次回は江戸の富士塚
都内にいくつも残されている江戸の富士山信仰の史跡を訪ねてみたいと思いますっ!

どうぞお楽しみに~

ブラ○モトシ 寺社編 vol.4 目赤不動

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目赤不動尊 南谷寺

例によって古地図は人文社さんの切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))から掲載させていただきました。
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拡大図がこちら。
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南谷寺

駒込吉祥寺から本郷通りをはさんだはす向かい。
目赤不動で有名な「南谷寺」があります。

田端駅と本駒込の間にある「動坂」はもともと「不動坂」から来ていて、そのお不動さんこそこの「赤目地蔵尊」ということなんですね。
この辺りは植木屋や土物屋(八百屋)が多く、田畑が広がる江戸のはじっこだったわけです。
「田端」の地名もやはり「田んぼの端」ということでついたのではないでしょうか。

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南谷寺本堂脇に「目赤不動」のお堂がありました。

この目赤不動。もともとは赤目不動だったところを三代将軍家光のお達しにより「目赤」と改められたんだそう。

ではどうしてわざわざ目赤となったかというと…五色不動に関係してくるんですね。

五色不動江戸五色不動とも呼ばれており、徳川家光天海僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来する等の伝説が存在する。史跡案内など多くの文献ではこのような説話に倣った由来が記述されているが、資料によっては伝説の内容にばらつきも見られる。
一方で五色不動を歴史的に研究したいくつかの報告によると、実際に『五色不動』という名称が登場するのは明治末または大正始めであり、江戸時代の史実とは考えにくいとしているが、伝説自体は江戸時代から伝わる噂話に原型が見られるという。
また名称を別とすれば個々の寺院や不動像自体は江戸時代(以前)からの歴史を持つとされる。特に目黒不動・目白不動・目赤不動については江戸時代の資料からもその名称が確認でき、江戸の名所として『三不動』の名で知られる[1][2]。
このうち、目黒と目白は山手線の駅名ともなり、特に目黒は区名となっているため有名である。
なお五色不動は基本的に天台宗真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は元来密教の仏像である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%89%B2%E4%B8%8D%E5%8B%95

いまだ謎多い五色不動ですが、まぁなんとなく五つそろえたくなるのは日本人の性でして、戦隊モノのお決まりのカラーリングと似たようなもの(?)だったんじゃないでしょうか。
詳しい記載のあるサイトを発見したので、ちょっと読んでみようと思います。
まぼろしの五色不動 by 松永英明 マチともの語り-地域・物語り・短編小説

目赤不動
歴史的背景も気になる所ですが、いずれにせよ不動様はここにあるわけで、
それが江戸の昔から崇拝されて信仰を集めていた、、となればそこに出向いただけでノスタルジーを感じることができるわけです。

細かいウンチクを集めるのも楽しいですし、それについて探るのもまた一興。
タダなんとなくその場の雰囲気を楽しむ。。。いずれにせよ寺社巡りは楽しいものです。

ブラ○モトシ vol.3 本駒込 吉祥寺

駒込吉祥寺 山門

今回は本駒込の吉祥寺へやってきました。

「きちじょうじ」というと中央線の吉祥寺を思い出しますけどね。

実はこの吉祥寺と中央線の吉祥寺はちょっと関係がありまして、江戸時代の大火事「明暦の大火」の際にこの土地の門前町の住人が、難を逃れて武蔵野に移住したことに由来するんですって。
なので、こちらが元祖吉祥寺。(でも元を正すと江戸城内→駿河台→駒込と移転しているようなので、駿河台時点での門前町人が武蔵野に移住したんだと思います。)

武蔵野の方とは変わって、こちらはひっそりとした閑静な古刹の様相。
これまた寺社レベル高し!です。

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いつもながら江戸の地図はひねくれてるので、現代図とはちょっと角度が違いますのでご注意を。

歴史ある建造物と変な狛犬

駒込吉祥寺 梅

空襲で焼けてしまった吉祥寺。
山門と経蔵を残して燃えてしまったそうです。山門は最初の写真、寺の入り口ですね。

そして経蔵。
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奥が本堂、手前の真っ暗が経蔵です。
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この経蔵、その昔からあるだけに細かなディティールとかすばらしかったです。
ところで「経蔵」というのは経典や書物を納めておく建物。書庫ってことですね。

吉祥寺、別の日にも行ったんですよ。とてもよかったんで。
駒込吉祥寺 梅
で、同じアングルでもう一回(笑)

静かで広々してい~いお寺でした。

後ね、ここの本堂の狛犬。やるきないんですよ(笑)あきらかにダラケテいる…。
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経蔵脇にも狛犬(というより鵺(ヌエ)のような…)がいました。こっちは何か渋すぎて怖い…。
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いずれにせよ見どころ満載のお寺でした。寺、癒されます。

ブラ○モトシ vol.2 本駒込 御鷹匠屋敷 天祖神社

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動坂はどうして動坂?と、ついでに御鷹匠屋敷って何?

今回はこの二つを探ってみました。

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これが田端から本駒込に至る「動坂」周辺の古地図です。

現代図だとこの辺りになります。

えー古い地図は東西南北が適当なので、これを現代図に合わせますと、、、
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こんな感じになります。

動坂はどうして動坂って言うのか。

青く囲ったところに「トウサカト云」と書かれているのですが、安政三年時点では「動坂」の名は使われていたわけですね。
で、どうして動坂なんだろう?という疑問が昔からあったので調べてみようと動坂に赴くと、、、
書いてありました。

結構探すと丁寧に看板なんかに書いてくれてるんですよね。
はい、そのまんまお不動さんがあるから不動坂、それが動坂となったそうです。
では、そのお不動さんとは!?

2012/08/08 追記
※動坂の由来になったお不動さんは坂上にあったそうです。
それが現在の南谷寺に移ったのだそう、はい、命令したのは家光です。

五色不動の一つ目赤不動のことだったんですね~
目赤不動のある南谷寺は動坂を登りきった先、本郷通り沿いにあります。

意外とあっさり謎が解けたのですが、それではこの動坂にある「御鷹匠屋敷」ってなんなんでしょう?

鷹匠屋敷跡を探る

えーまず鷹匠とは、、、鷹狩で鷹を扱う人々のことです。
鷹狩 - Wikipedia
はい、ウィキにもあるとおり江戸時代の将軍は鷹狩が御好きだったようで、それ専門の人々をここに住まわせたってわけですね。
特に三代家光は鷹狩が御好きだったご様子で、江戸城にも鷹小屋を造ったみたいです。

さて、そんな鷹匠屋敷。
今はどうなってるかというと…。
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駒込病院になっております。

ん~見事に病院で鷹匠屋敷の面影は。。ない。
一周ぐるりとしてみましたけど、、ない。

では駒込病院はというと、、、、

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明治12年(1879年)に避病院として設立された~とあります。
避病院というのは伝染病患者を隔離する施設のこと。

古地図が書かれた1856年には存在して1879年には無かった。
この23年間の間に焼失してしまったということでしょうか!?

隔離病院ですから、住居が密集しているような場所には作れないですよね。
この場所は丁度屋敷の跡が開いていたから都合がよかった、、、と考えるべきでしょう。

写真は駒込病院の職員通用口あたりの金魚。ゆらゆらかわいかったので一枚。

鷹匠さんは何処へ?

あ、これ推察なんですが、鷹匠さん達はそれなりに地位が高かったわけですよね。
だって、いつも将軍のそばにいて鷹狩するくらいですし、江戸のハズレの方とはいえ結構でっかい屋敷を与えられてるんですから。
で、で、この屋敷というのも将軍が鷹狩したいから、鷹匠さん住まわせとこ屋敷なはず。

そりゃー幕府解体と一緒に撤去ですよね、まっさきに。
と、考えると明治初期には解体、、もしくは空き家。だったんじゃないでしょうか??

ひとまず駒込天祖神社へお参りに。

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天祖神社は江戸時代には「駒込神明宮」といわれて駒込村の鎮守様だったそうじゃ。
神明と来たら天照大神伊勢神宮が本社で、社殿は神明作り。
最近神明社はよく行くので「あ、神明社」と見た感じで見分けられるようになりました(笑)
こう、うっそうと気が茂って神様がいらっしゃる感じがあっていいですよね。

この天祖神宮。
私の中の「神社レベル」がなかなか高いです。いいです。
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1189年源頼朝さんが奥州藤原氏を討伐の際に神木を祀って創建したそうですが、1700年代に枯れちゃったそうです。
その後放置されて神木と祠だけになってたところを堀丹後守利直さんという方が1650年位に再建してくれたとのこと。
丹後守さんに感謝ですね。
ただ、その後神木を枯らしちゃったのが残念。

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全景はこんな感じ、参道が長くて素敵ですね~。

天祖神社で鷹匠屋敷らしき痕跡発見★

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で、しばし鷹匠屋敷の痕跡を探してウロチョロしてみると、、、ありました!

50センチ位の石柱に「御鷹組中」の文字!これはなんか関係ありそう!

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と、喜んでたら神社入り口にバッチリ書いてありました(笑)
やっぱり鷹匠組が寄進したよーという印だったわけですね。

うん、これで「御鷹匠屋敷」がここにあったって気分になってきました。

そういう気分で駒込病院辺りをもう一度見てみると・・・・。
なんか鷹が飛んでるような気が・・・・してこなくもないかも(笑)

春の足音聞こえてきました。

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天祖神社の鳥居の先。お家の軒先の梅の木に鶯が!
こういう時に望遠ズームもってないんだよな~なんて嘆きながらコンデジでがんばってシューティング。
ん、、、見ずらいけどわかりますか?

動坂を上った辺りから「田畑いっぱいの景観地」から「武士や町人が住む町屋&大名屋敷&寺社ゾーン」に入ります。

動坂が不動坂のことで、五色不動の一つがある、、、となれば行ってみるしかないですよね。。

ということで次回は本郷通り沿いの寺社仏閣ゾーンをブラブラしてみたいと思います。

ブラ○モトシ vol.1 田端 東覚寺

ようやくタイトル通りに始める日がやってきました(笑)
「ブラ○タモリ」を愛してやまない私が、タモさんばりに古地図片手にブラブラするブログ。のはずだったんですけどね…。


古地図は人文社さんの切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))から掲載させていただきました。
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))

悪い箇所に赤札貼ればたちまち良くなる 赤紙仁王の「東覚寺」

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地図は安政三年(1856年)に発行された根岸谷中日暮里豊島辺りの図とのこと。
ちなみに左上「下尾久」とかかれた辺りが我が家の辺り。
昔は田畑ばかりだったんですね~

さて、地図上赤いボールペンでグリグリ囲まれた場所。
ここが東覚寺です。
ちなみに古地図には「西国二十九番丹後松尾寺移 東覚寺 九品仏 仁王像 八幡宮 二番」とあります。
赤紙仁王で有名なこのお寺。

山門前のお堂に二体の仁王像があります。

が、赤い紙で埋め尽くされてその姿はなんだかわからない…。

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»polaroid i-837

こんな感じで、山門や御堂はキレイに建て直されてました。
でも仏殿はなかなか趣がありましたよ。

Olympus OM-2で初めての広角~中望遠レンズ♪

こんかいはいつものOM2さんにこれまで50mm単焦点しか付けたことがなかったんですが、35mm-70mmの広角から中望遠までカバーできるズームレンズをつけていってきました!
ちなみに「OM-SYSTEM s.zuiko 35-70mm f4」というレンズです。

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白龍山寿命院「東覚寺」が正式名称。
お寺には「山号」というものがついています、これはもともと山に寺があったから、、と聞いてます。
なので入り口は「山門」ってわけですね。
すこし絞って手前の大日如来像と山号を入れてみました。しかし、金ぴか。

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山門脇の護摩堂。木目がイイ感じです、この前に二体の仁王像が並んでいます。

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で、面白かったのが阿吽像のさい銭箱のカギ。
錠前にシールで「阿」「吽」と貼ってあったんです。
しかし、この鍵。別に左右一緒ならどっちでもいいような気が・・・あ、鍵がそれぞれ違うのかな?
なんか面白いから思わず、両方パチリ。

急こう配の町 田端

JR田端駅は北側に切り立った形の台地になっていて、どちら側に歩いても坂を下るようになります。
これはちょうど台地の切れ目にあたるからなんですね。

王子駅から上中里駅、そして田端駅に至る一帯は切り立った地形になっていてここから荒川・隅田川に至る辺りまでが海抜の低い低地が広がっています。
そうして、南側、不忍通りに向かってゆるやかな下り坂が続き、その先は動坂をはじめとする急こう配のアップダウン。

地図でいうと東覚寺の下「田」の次の通りあたりに小さく「トウサカト云」と書かれているのが「動坂」。
その手前が現在の不忍通りに当たりますから、この頃は水路はあっても大通りはなかったんですね。
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それもそのはず、この通りは1922年(大正11年)の開通。
その後は都電のルートにもなっていたそうですよ。

江戸の頃は田畑が続くのどか~な風景だったんでしょうね~。
江戸時代の地図もこの辺りは申し訳程度に観光地以外はだいぶ省略されて簡素な地図になっていますが、動坂を過ぎたあたりからは寺社地が広がる「江戸のはじっこ」が始まります。

当時は田端・日暮里辺りは江戸のはじっこ。
景観豊なことから江戸っ子の観光地になっていたんですね。
飛鳥山(JR王子駅)の桜や道灌山(JR西日暮里駅)の虫鳴きなどは名所としても紹介されているんです。

寺社地の先には武家地や大名の屋敷などが続き、江戸城外堀へと向かうわけです。

では、今度は動坂を上って現在の「南北線 本駒込駅」方面まで足を延ばしてみたいと思います。

白龍山 寿命院 『東覚寺』 公式ウェブサイト


東覚寺