ブラ○モトシ 日光街道編 一日目 千住宿~粕壁宿#1 千住宿出発!
【あらすじ】
東海道中も途中なのに時間とお金がかからない日光道中を先に攻略^^;
おくのほそ道も読み始め、目指せ日光二荒山!
とりあえずは芭蕉も泊まった粕壁宿を目指します。
現在地はここ!
とりあえず前夜祭の続きで千住宿を出発。
日光街道はずっと北上なので地図も横でw
これまでのログはこちら。
【東海道編】
一日目 日本橋~川崎宿 全5編
二日目 川崎宿~戸塚宿 全6編
三日目 戸塚宿~大磯宿 全5編
四日目 大磯宿~箱根湯本 全5編
五日目 箱根湯本~三島宿 全6編【日光街道編】
前夜祭 日本橋~千住宿
ダイジェストムービー
ダイジェストムービーを作ってみました。
シャッターを押す直前の約4秒前までを、自動的に1280×720ピクセル(30 fps)の動画で記録してくれる「プラスムービーオート」という面白い機能を使用してます。キャノンのパワーショットSX280HSってカメラです。新品は売ってないんでヤフオクでどうぞ。
日光街道と東海道の違い
東海道と日光街道。
どちらも五街道の中でもメジャーどころなんですが、ところであと3つわかりますか?
はい、中山道と甲州街道、奥州街道ですね。
奥州Kは日光までは日光街道と同じです。
TK・NK・NS・KK・OKという略称でフィルムケースに記入したらわかりやすいなと今から考えてたりします。うふふ。
で、とりあえず今回日光街道を少し歩いたんですが、、、なんかTKよりもぱっとしないんですよね~NKは。
なんと言ってもダラダラと直線が続くのに目ぼしいスポットがない箇所が多いです。あとTKはもろに観光誘致作戦として街道を全面に出しているのに対してNKは地味。あ、あと国道と同じ区間が長い。
はい、もしかして日光街道からはじめてたらこんなにハマらなかったかも…。
だからね、やっぱり東海道を保土ヶ谷くらいまで歩くと楽しいですよ。。。
早朝の千住宿を出発!
前回ここ、千住宿の入り口現在の千住市場前で終了しましたので、
同じ場所から出発です!朝5時です。
旧日光街道入り口には芭蕉像も俳句を吟じております。
ただし草加のかっこいい芭蕉に比べてこちらはディフォルメされたじい様です。
千住宿は江戸四宿の1つです、あとは品川宿・板橋宿・内藤新宿ですね。
なので他の街道中の宿とは作りがチと違います。
まず、江戸側に「やっちゃ場」と呼ばれる市場がありました。
これはそのまま現在の足立市場になってるわけですが、ここは1600年に東海道が成立するよりも以前から市場があったそうです。
あと東海道はお日様がずっと背中だからいいんだけど、日光街道は東から陽が照りつけるから顔の右側が暑いんですよねー。それはまぁいいか。
それで、千住宿はすこしづつ拡張していって最終的には泪橋付近まで広がります。
ちなみに時系列はこんな感じ。
1651年 小塚原刑場創設
1660年 宿南側拡張
1667年 回向院創建
1689年 芭蕉おくのほそ道出発
ちなみに小塚原も回向院も現在の南千住駅近くです。
小塚原の刑場ができたころは死体もそこら辺にほったらかしで、それはすごい所だったらしいんですが、回向院を建てて弔ったと。
でもそのすごかった頃にはもう宿は拡張してんだよなー。どうしてかなー。
逆にそんなだからそうしたのかも。
ちなみに芭蕉はこの南側はすっ飛ばして、北側に船で着岸してます。
これは避けてるよね、絶対そうだ。新吉原も1657年の大火で移転してきてるし、そこいら辺は通りたくなかったんじゃないだろうか。
【宿拡張の流れ】
1625年 千住宿成立(1丁目~5丁目・本宿)
1658年 掃部宿(現:千住仲町)・河原町・橋戸町が加わる(新宿)
1660年 千住大橋の南側、小塚原町(現:南千住2・5丁目付近)・中村町(現:南千住4・7丁目付近)が加わる(南宿、下宿)
ふむ。なんか腑に落ちないところもあるけどここらは地元なので追々きちんと調べないと気が済みませんね。
ちなみに現在は北千住が足立区、南千住が荒川区になってまして、今でこそ栄えてきた南千住でしたが僕が子供のころは何もない南と栄えてる北でなんでこんなに違うんだろうとよく疑問に思ったものです。
今の南千住は高層ビルとショッピングセンターですごいことになってますが。
さて、長くなりましたが続き
京成線のガードした辺りがやっちゃ場南詰。
千住仲町交差点付近がやっちゃ場の北詰だそうです。
この区間は足立区の説明板がところ狭し、、ではないな、そこここに掲示されてます。
昔ここは●●屋だったよーってやつね。
北詰めのコンビニは昔っから酒屋だったそうでこんなとこにも名残りがあったりするのねーと思いました。
千住仲町商店街を進んで次の通りに出たところ「東京芸術センター」の広場になっているところに問屋場跡・貫目改所跡があります。
人馬の手配と荷物の重さを検査した施設ですね。馬に積む荷物の重さで料金が変わったからですね。
さてまだ宿並は続きますトポス北千住店をすぎて現在の北千住の目抜き通りを横切ります。
30年前は今みたいにショッピングセンターがなくって僕はわざわざ自転車でこのトポス北千住まで買い物に来てましたw今思い出したw
よく考えたら高校生の時にテレビを買いました。ここまでチャリできてwそれも思いだしたw
まぁそれは蛇足。
そして宿場町通り商店街の方へ入ります。
こっちはガッツリ宿場押しですね。
朝で人もいないんでクドいくらいになびく旗。
越谷まで4里ですか、16キロ。まだまだ先ね。
宿並もはじまでくると旧家跡なども残されてて往時の雰囲気があります。
ここらに「槍かけだんご」のかどやさんて店があってかなり年期が入ってたけど有名で繁盛してて、最近新しく建てなおされてましたね。むろん早朝なんで開いてないんですが、団子食いたかったなー。あ、それだけです。
千住新橋を渡る
宿を抜けますと急激に「外れ感」が襲ってきます。
はい、それもそのはずで昔はなかった「荒川」が立ちはだかってるんですよ。
川の手前には追分標識が二つ。
1つは「東:旧水戸佐倉街道・北:旧日光街道」、その先には「北:旧下妻街道・北西:旧日光街道」。もともとはこんな感じで街道が続いてたんですね。
ということで迂回してらせん階段を上って千住新橋を渡ります。
朝の河原は気持ちいいですねー。午前5時50分です。
土手沿いを進みまして、
ここ川田橋交差点を渡ります。
ほいでもって善立寺前を通って東武線梅島駅を目指します。
はい、そいでもって梅島駅に着きました。
ここからは国道沿いのわき道を埼玉県との県境まで進みます。
次に目指すのは埼玉入ってすぐの駅、谷塚駅。
おくのほそ道ではチャチャッとハショられてましたが、今回は折角なので東武線の各駅も見物しながら進んで行きたいと思います。
つづく。