ブラ○モトシ

ISO400 F8 1/125

ブラ○モトシ 日光街道編 一日目 千住宿~粕壁宿#1 千住宿出発!

20140814CanonSX280HS 051

【あらすじ】
東海道中も途中なのに時間とお金がかからない日光道中を先に攻略^^;
おくのほそ道も読み始め、目指せ日光二荒山!
とりあえずは芭蕉も泊まった粕壁宿を目指します。

ダイジェストムービー


ダイジェストムービーを作ってみました。
シャッターを押す直前の約4秒前までを、自動的に1280×720ピクセル(30 fps)の動画で記録してくれる「プラスムービーオート」という面白い機能を使用してます。キャノンのパワーショットSX280HSってカメラです。新品は売ってないんでヤフオクでどうぞ。

日光街道東海道の違い

20140814CanonSX280HS 048

東海道日光街道
どちらも五街道の中でもメジャーどころなんですが、ところであと3つわかりますか?
はい、中山道甲州街道奥州街道ですね。
奥州Kは日光までは日光街道と同じです。
TK・NK・NS・KK・OKという略称でフィルムケースに記入したらわかりやすいなと今から考えてたりします。うふふ。

で、とりあえず今回日光街道を少し歩いたんですが、、、なんかTKよりもぱっとしないんですよね~NKは。
なんと言ってもダラダラと直線が続くのに目ぼしいスポットがない箇所が多いです。あとTKはもろに観光誘致作戦として街道を全面に出しているのに対してNKは地味。あ、あと国道と同じ区間が長い
はい、もしかして日光街道からはじめてたらこんなにハマらなかったかも…。
だからね、やっぱり東海道保土ヶ谷くらいまで歩くと楽しいですよ。。。

早朝の千住宿を出発!

f:id:motosix:20140811232051j:plain
前回ここ、千住宿の入り口現在の千住市場前で終了しましたので、
f:id:motosix:20140814051639j:plain
同じ場所から出発です!朝5時です。
f:id:motosix:20140814051759j:plain
日光街道入り口には芭蕉像も俳句を吟じております。
ただし草加のかっこいい芭蕉に比べてこちらはディフォルメされたじい様です。
千住宿は江戸四宿の1つです、あとは品川宿・板橋宿・内藤新宿ですね。
なので他の街道中の宿とは作りがチと違います。
f:id:motosix:20140814051857j:plain
まず、江戸側に「やっちゃ場」と呼ばれる市場がありました。
これはそのまま現在の足立市場になってるわけですが、ここは1600年に東海道が成立するよりも以前から市場があったそうです。

f:id:motosix:20140904225723p:plain
しかし東海道は楽だったのにこっちは縦長になりますなー。
あと東海道はお日様がずっと背中だからいいんだけど、日光街道は東から陽が照りつけるから顔の右側が暑いんですよねー。それはまぁいいか。
それで、千住宿はすこしづつ拡張していって最終的には泪橋付近まで広がります。
ちなみに時系列はこんな感じ。

1651年 小塚原刑場創設
1660年 宿南側拡張
1667年 回向院創建
1689年 芭蕉おくのほそ道出発

ちなみに小塚原も回向院も現在の南千住駅近くです。
小塚原の刑場ができたころは死体もそこら辺にほったらかしで、それはすごい所だったらしいんですが、回向院を建てて弔ったと。
でもそのすごかった頃にはもう宿は拡張してんだよなー。どうしてかなー。
逆にそんなだからそうしたのかも。
ちなみに芭蕉はこの南側はすっ飛ばして、北側に船で着岸してます。
これは避けてるよね、絶対そうだ。新吉原も1657年の大火で移転してきてるし、そこいら辺は通りたくなかったんじゃないだろうか。

【宿拡張の流れ】
1625年 千住宿成立(1丁目~5丁目・本宿)
1658年 掃部宿(現:千住仲町)・河原町・橋戸町が加わる(新宿)
1660年 千住大橋の南側、小塚原町(現:南千住2・5丁目付近)・中村町(現:南千住4・7丁目付近)が加わる(南宿、下宿)

ふむ。なんか腑に落ちないところもあるけどここらは地元なので追々きちんと調べないと気が済みませんね。

ちなみに現在は北千住が足立区、南千住が荒川区になってまして、今でこそ栄えてきた南千住でしたが僕が子供のころは何もない南と栄えてる北でなんでこんなに違うんだろうとよく疑問に思ったものです。
今の南千住は高層ビルとショッピングセンターですごいことになってますが。

さて、長くなりましたが続き

f:id:motosix:20140814051843j:plain
京成線のガードした辺りがやっちゃ場南詰。
f:id:motosix:20140814052228j:plain
千住仲町交差点付近がやっちゃ場の北詰だそうです。
この区間は足立区の説明板がところ狭し、、ではないな、そこここに掲示されてます。
昔ここは●●屋だったよーってやつね。
北詰めのコンビニは昔っから酒屋だったそうでこんなとこにも名残りがあったりするのねーと思いました。
f:id:motosix:20140814052253j:plain
千住仲町商店街を進んで次の通りに出たところ「東京芸術センター」の広場になっているところに問屋場跡・貫目改所跡があります。
人馬の手配と荷物の重さを検査した施設ですね。馬に積む荷物の重さで料金が変わったからですね。
f:id:motosix:20140814052757j:plain
さてまだ宿並は続きますトポス北千住店をすぎて現在の北千住の目抜き通りを横切ります。
30年前は今みたいにショッピングセンターがなくって僕はわざわざ自転車でこのトポス北千住まで買い物に来てましたw今思い出したw
よく考えたら高校生の時にテレビを買いました。ここまでチャリできてwそれも思いだしたw
まぁそれは蛇足。
そして宿場町通り商店街の方へ入ります。
f:id:motosix:20140814053443j:plain
こっちはガッツリ宿場押しですね。
f:id:motosix:20140814053739j:plain
朝で人もいないんでクドいくらいになびく旗。
f:id:motosix:20140814053528j:plain
越谷まで4里ですか、16キロ。まだまだ先ね。
f:id:motosix:20140814054033j:plain
f:id:motosix:20140814054042j:plain
宿並もはじまでくると旧家跡なども残されてて往時の雰囲気があります。
ここらに「槍かけだんご」のかどやさんて店があってかなり年期が入ってたけど有名で繁盛してて、最近新しく建てなおされてましたね。むろん早朝なんで開いてないんですが、団子食いたかったなー。あ、それだけです。

千住新橋を渡る

宿を抜けますと急激に「外れ感」が襲ってきます。
はい、それもそのはずで昔はなかった「荒川」が立ちはだかってるんですよ。
f:id:motosix:20140814054317j:plain
川の手前には追分標識が二つ。
1つは「東:旧水戸佐倉街道・北:旧日光街道」、その先には「北:旧下妻街道・北西:旧日光街道」。もともとはこんな感じで街道が続いてたんですね。
f:id:motosix:20140905001043p:plain
f:id:motosix:20140814054729j:plain
ということで迂回してらせん階段を上って千住新橋を渡ります。
f:id:motosix:20140814054846j:plain
f:id:motosix:20140814054910j:plain
朝の河原は気持ちいいですねー。午前5時50分です。
f:id:motosix:20140814055814j:plain
土手沿いを進みまして、
f:id:motosix:20140814060003j:plain
ここ川田橋交差点を渡ります。
f:id:motosix:20140814060043j:plain
ほいでもって善立寺前を通って東武梅島駅を目指します。
f:id:motosix:20140814063600j:plain
はい、そいでもって梅島駅に着きました。

ここからは国道沿いのわき道を埼玉県との県境まで進みます。
次に目指すのは埼玉入ってすぐの駅、谷塚駅。

おくのほそ道ではチャチャッとハショられてましたが、今回は折角なので東武線の各駅も見物しながら進んで行きたいと思います。

つづく。